不登校について調べると、よく目にするのが「放置はよくない」という言葉です。
頭では理解できるし、私も放置を推奨するつもりはありません。
しかし、不登校の対応に疲れ切って、「もう放置したい」「疲れた、逃げたい」と感じる親は少なくないのも事実です。
私自身も、限界まで疲れた末に1週間だけ距離を置いたことがあります。
きっかけは、子どもから完全に無視されたことです。
親としては迷いや罪悪感もありました。
でも正直に言うと、死ぬほど楽でした。
不登校はほっとくとダメ?「放置」と「見守り」の違い

ネットを見れば「信じて待つのが大事」なんて書かれています。
でも、毎日無視され続けている親からすれば、そんなに簡単に割り切れるものではありません。
世間で言われる「放置」とは
専門家の間では、よく「無関心(放置)」と「信じて待つ(見守り)」は区別されます。
前者は子どもを諦め無関心な状態になること、後者は関心は持ち続け様子を見続けることです。
限界まで疲れた私が選んだ1週間の放置
私がやったのは、立派な「見守り」ではなく、自分を守るための「逃げ」であり、一時的な「避難」でした。
そうでもしないと、こっちの精神が持たなかったからです。
不登校のフォローは母親に負担が偏りがちです。心を休ませたくて、今回の放置を決めました。
▶不登校の負担は「母親に偏りがち」の理由はこちらをご覧ください。
1週間放置したときの状況

会話がなくなると家の中が静まり返ります。
そんな状態の中で、私はあえて自分から「距離を置く」ことを選びました。
朝も起こさないし、会話もしない。話しかけられても事務的に返すだけ。
とにかく自分の視界から外すようにしました。
「今日はなんて声をかけよう」と神経をすり減らす毎日から解放されて、張り詰めていた緊張がようやくほどけた気がしました。
「あぁ、放置ってこんなに楽なんだなぁ」 そう実感していた、1週間の終わりのことです。
1週間の終わりに起きた「異変」
1週間が経過した頃、息子が布団から起き上がった瞬間に崩れ落ち、震える声で言いました。
「……目が、見えない」
その時、私の心に湧き上がったのは、心配よりも先に「あぁ、やっぱり……」という冷めたような、ガッカリした気持ちでした。
なぜなら、食事は用意していましたが、彼はそれをまともに食べていませんでした。
「きっと貧血だろうな」とすぐに感じました。
案の定、眼科での検査結果は「異常なし」。やはり、一時的な貧血や栄養不足によるものだろうとのことでした。
その診断を聞いたとき、なんだか情けなくなってしまいました。
「一週間、私が口出しするのをやめただけで、この子は自分の体調管理すらできないんだ」
「放っておいたら、倒れるまで食べないんだ……」
心の負担が軽くなったはずの1週間の終わりに待っていたのは、「この子を一人前として扱うのは、まだこんなに難しいのか」という、なんとも言えない脱力感でした。
子どもが無視した本当の理由
1週間後、ようやく訪れた沈黙の終わり。
「なんで無視してたの?」と息子に聞くと、彼はぼそっと、意外な本音を漏らしました。
「妹のことをひいきしてると思った」

父親に悪いことを報告されるのは自分ばかりで、妹は許されている。そう感じていたようです。
親からすれば平等に接していたつもりでも、子どもがどう受け取るかは別問題。
本当に、不登校の対応に「正解」なんてないんだなと痛感します。
まとめ
今回の「1週間放置」で分かったのは、放置は親の心を守る劇薬にはなるけれど、その代償として子どもの未熟さを突きつけられるということ。
不登校の対応に疲れたとき、親が一度立ち止まることは悪いことではありません。
あなたが限界を迎える前に、少しだけ距離を置くことも、立派な“見守りの一部”だと私は思います。
ただ、我が家のように「倒れるまで食べない」というオチがつくこともあります。
「適度な距離」なんて、言うのは簡単だけど、現実はそんなに甘くない。
今日もまた、そんな曖昧な境界線を探しながら、なんとかやっていくしかありません。
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