「不登校 親 おかしい」この言葉を見て、胸がざわっとした人は少なくないと思います。
実際に誰かに言われたわけじゃない。
でも、検索サジェストに出てくる。
知恵袋では、親の人格に踏み込むような回答が上位に並んでいる。
それを見てしまうと、「やっぱりそう思われてるのかな」そんな気持ちになるのも無理はありません。
この記事では、「なぜそう感じてしまうのか」という心の仕組みを、できるだけやさしく整理していきます。
なぜ不登校の親は「おかしい」とラベリングされやすいのか

検索画面に「不登校」と入力すると「不登校 親 おかしい」と出てきますが、何故なんでしょうか。
不登校の家庭は、どうしても外から見えにくい存在です。
「学校に通っていない理由。」
「家庭の中で何が起きているのか。」
そこが見えないまま、人は想像で補おうとします。
そのとき使われやすいのが、「〇〇な親が多い」「だから不登校になる」という単純なストーリーです。
これは、心理学でいうラベリングや確証バイアスと呼ばれる考え方に近いものです。
このあと詳しく触れますが、これには人の『不安』や『思い込み』が大きく関係していると考えられます。
▶「不登校の親の特徴」を知りたい方は、こちらをご覧ください。
そもそも「普通」とは何か?
ここで一度、「普通とは何か」を考えてみてもいいかもしれません。
不登校の親が「おかしい」と言われるとき、そこには必ず「普通の親ならこうするはず」という前提があります。
「学校に行かせる。」
「集団に慣れさせる。」
「多少の無理は乗り越えさせる。」
でも、その「普通」は、誰が決めたものなのでしょうか。
多くの場合、それは多数派の行動や、これまで当たり前とされてきた親の価値観が、そのまま基準になっているだけです。
一般的な家庭の姿は多くの人に「普通」に見えます。
しかし、あまり知られていない家庭のやり方は、いつのまにか「例外」や「おかしいもの」とされてしまいます。
不登校の家庭は日常が外からあまり知られていないため、周囲から「普通ではない」ように見られやすいのでしょう。
そのズレが、「親がおかしいのでは」というラベリングにつながっていると考えられます。
ここで「普通」の正体を整理してみましょう。
| ポイント | 内容 |
|---|---|
| ① 多数派の行動が「普通」に見えるだけ | 見える家庭が多い → それが普通に見える 見えにくい家庭 → 例外扱いされやすい |
| ② 家庭の多様性は本来もっと広い | 働き方の違い、 生活リズムの違い、子どもとの関わり方の違い |
| ③多くの人の「普通」は自分の家庭 | 世間の普通ではなく、日常を共にする家庭が基準 |
ここまで「親側の普通」を見てきましたが、視点を子どもに移すと、また違う景色が見えてきます。
不登校の子どもの場合は、学校に行くこと自体が「普通ではない」と感じるのが、その子にとっての自然な感覚かもしれません。
つまり、「普通」とは立場や環境によって変わるものだとも言えます。
脳の仕組みによる罠「確証バイアス」

こうした「普通」の揺らぎがある中で、人は自分の不安や疑問に沿った情報ばかりを集めてしまう傾向があります。心理学でいう確証バイアスです。
「不登校の親は変わっているのでは?」というイメージを持った人が、たまたま極端な事例や強い言葉の体験談を見ると、「やっぱりそうだ」と確信を強めてしまいます。
この仕組みを知ると、ネット上で見かける「親がおかしい」という言葉に心が揺れても、それがあなた個人を指しているわけではないと理解できます。
ここで、「脳の仕組みによる罠」を整理してみましょう。
| 脳の仕組みによる罠 | 内容 |
|---|---|
| 偏見 | 「親がおかしいのでは?」という仮説を持つ |
| 収集 | ネットで「過保護な親」など極端な例を見る |
| 確信 | 「ほら、やっぱり親が原因だ!」と感じる(バイアス完成) |
逆に、「普通に悩んでいる親」「静かに支えている家庭」そういった存在は、そもそも目に入りません。
これは、誰にでも起きる心のクセです。
※ちなみにこの「確証バイアス」、 イギリスの心理学者が提唱した脳の仕組みです。人間なら誰でもハマってしまう罠なんだそうです。
親自身も、同じ罠にハマることがある
実は、不登校の親自身も同じ確証バイアスに苦しむことがあります。
ネットで「親のせい」「親の特徴」そんな言葉を見続けるうちに、
「自分も当てはまっているかも」
「だから子どもが不登校なんだ」
そうやって、自分をラベリングしてしまうこともあります。
そのたびに、心がえぐられるように感じるのは、性格が弱いからではありません。
不安な状態で、強い言葉を浴び続けているだけです。
▶「不登校の親の特徴」を調べた記事はこちらです。
「おかしい」と感じなくなったとき、何が変わるのか

ラベリングや確証バイアスから少し距離が取れると、世界の見え方が変わってきます。
構造が見えてくると、誰かの厳しい意見を見ても、「この人は、そういう限られた経験(情報)の中で話しているんだな」と冷静に受け止められるようになります。
自分の家庭を、誰かの物差しで測らなくなるのです。
それは、無理をして「強くなった」というより、「仕組みが理解できた」という感覚に近いかもしれません。
むやみに傷つく代わりに、適切な距離を置いて、冷静に「わが家の不登校」に向き合えるようになる。
この視点の変化こそが、親自身の心を穏やかに保つための大きな一歩になります。
「おかしい」と検索される現実は、消えない
正直に言うと、「不登校 親 おかしい」という言葉が検索されなくなることは、たぶんありません。
でも、その言葉が向けられているのは「あなた個人」ではありません。
見えないものを単純化して、わかった気になりたい人の心理がそこに表れているだけだと思っています。
実を言うと、私自身も「不登校の親」という立場にならない限り、この確証バイアスに乗っ取られていた一人だったと思います。
かつての私は「不登校の親=子どもを学校に連れて行かず、放っておいている人」という偏ったイメージを持っていました。
しかし、当事者となって初めて、そのイメージがいかに断片的で、浅いものだったかを知りました。
自分の価値観がアップデートされた今となっては、当時の無知を反省するとともに、この視点を持ててよかったと心から思っています。
今、外側から心ない言葉を投げかけてくる人も、かつての私と同じように、ただ「実情を知らない」だけなのかもしれません。
▶昔も海外にも不登校はいます。詳しくはこちらをご覧ください。
まとめ│不登校の親は、特別おかしい存在ではない
これらのことを考えると、不登校の親は「おかしい」存在ではありません。
不登校は、親の性格ひとつで説明できるほど単純なものではなく、環境や子どもの特性、学校との相性、運の要素も絡んでいます。
それでもなお、「親がおかしい」と言葉を投げられるのであれば、その人がまだ実情を「知らないだけ」ではないでしょうか。
見えにくいものは誤解されやすい事が多いです。この心理的な罠を多くの人に知っていただきたいです。
▶不登校の子どもへの家庭の接し方は、こちらにまとめてあります。


