「不登校」って、いつから今の形で語られるようになったんだろう。
そんな素朴な疑問から、不登校の歴史を少しだけたどってみました。
調べていくと、時代ごとに制度が変わり、子どもの見え方も変わってきたことが分かります。
でも、歴史を知れば知るほど、今の私たちが抱える「モヤモヤ」や「届かないもどかしさ」の正体も見えてきた気がします。
不登校はいつから問題になったのか?過去の統計でみる

ここで、戦前から現在までの制度の変化と不登校の扱いをまとめてみました。
時代ごとに子どもや社会がどう見え方を変えてきたか、一目で分かるようにしています。
| 時代 | 社会の状況・制度 | 不登校の扱い |
|---|---|---|
| 戦前〜戦後初期 | 選抜型教育・統計なし | 欠席=怠学。概念として存在しない |
| 1947年 | 6・3・3・4制導入、義務教育9年 | 全員が同じ枠に入り、合わない子が可視化され始める |
| 1980年代 | 受験競争・校内暴力の増加 | 「登校拒否」として問題視される |
| 1992年 | 文部省が不登校を定義 | 「どの子にも起こりうる」と明示。社会課題として可視化 |
| 2000年代〜現在 | 教育機会確保法、COCOLOプランなど | 制度は増えるが、安心は届きにくい現実が残る |
この表を見ると、戦前は不登校という概念すらなく、欠席は個人の問題とされていたことがわかります。
戦後、制度が整うと全員が同じ枠に入り、学校に合わない子どもが初めて可視化されるようになりました。
1980年代以降は「登校拒否」として社会問題化し、1992年に制度で定義されるまでの流れが、数字と制度の両面で整理されています。
不登校児はいつから増えたのか
歴史をたどると制度は整ってきました。
では、実際の人数はどう推移しているのでしょうか。
文部科学省の統計を見ると、不登校の人数はこの30年で大きく増えています。
2000年(平成12年)以降、制度整備は進みましたが、不登校の人数は減少せず、2023年度(令和5年度)では、約34万6千人まで増加しています。
以下のグラフには2023年度(令和5年度)までしか記載がありませんが、2024年度(令和6年度)には約35万4千人に達しています。

(出典:文部科学省、「令和5年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果 本体資料」P76)
(参照:文部科学省、「令和6年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果及びこれを踏まえた対応の充実について(通知)」)
不登校という言葉がなかった時代

戦前から戦後初期、日本の学校は「選ばれた人が行く場所」という側面が強く、欠席は個人の「怠学(なまけ)」や家庭の事情として片付けられていました。
当時は全国的な統計もなく、不登校という概念そのものが社会に存在していませんでした。

社会全体が、学校に行かない状態を「問題」として捉える視点すら持っていなかったんだな、と感じます。
1947年│全員が「同じ枠」に入る社会へ
戦後、6・3・3・4制が導入され、誰もが平等に教育を受けられる仕組みが整いました。
しかし、全員が同じペースで学ぶことが「当たり前」になったことで、逆に学校という枠に合わない子どもが可視化される土壌も、この時生まれました。
平等の拡大は進んだものの、一人ひとりに合わせる柔軟さは、まだ十分ではなかったのかもしれません。
(参照:文部科学省、「六 戦後の教育改革」)
1980年代│激化する競争と「登校拒否」
受験競争の激化や校内暴力が深刻化する中、学校に行けない子が急増し、「登校拒否」として大きな社会問題になります。
当時はまだ「心の病気」や「わがまま」といった厳しい視線が教育現場にも強く残っていました。

今振り返ると、現場もどう対応していいか分からず、手探りで苦しんでいた時代だったんだな、と感じます。
1992年│制度が「不登校」を定義する

文部省(当時)が、不登校を「どの子にも起こりうる」と明示しました。
ここで初めて不登校は数字として可視化され、「個人の問題」から「社会が対応すべき課題」へと、歴史の舵が切られました。
データで可視化されたことで、ようやく「対応が必要な状況」として認識され始めたのです。
(参照:文部科学省、「中央教育審議会初等中等教育分科会(第23回)議事次第」)
増え続ける「制度」と、届かない「安心」
ここ数十年で「教育機会確保法」などができ、「ICT学習」や「別室登校」といった選択肢が制度の上では用意されるようになりました。
つまり、国として不登校は起こりうることだと認めているのです。
けれど、その選択肢は、今困っている一人ひとりのもとへ本当に届いているでしょうか。
私の子どもも、別室登校を提案されたことがありました。
でも、「自分一人だけ扱いが違うのが嫌だ」と言い、行こうとしませんでした。
私の子どもにとって、大人が用意した「別の部屋」は、安心できる居場所ではなく、
「自分はみんなと違う」と突きつけられる場所でしかありませんでした。
制度は積み上がってきましたが、一人ひとりの子どもの繊細な心との間には、依然として深い溝があるのだと痛感します。
(参照:文部科学省、「不登校対策(COCOLOプラン等)について」)
(参照:文部科学省、「教育機会確保法リーフレット」)
まとめ│歴史の続きをどう生きるか
「学校に行かないこと」や「別室登校を拒否すること」を、ただの甘えだと感じる人もいるかもしれません。
でも、用意された場所に馴染めないのは、その子が「自分らしくありたい」と必死に願っているサインなのだと私は思います。
制度に子どもを合わせるのではなく、子どもの心に制度を寄せていく。
そんな歴史の続きを、私たちは作っていかなければならないのではないでしょうか。
もちろん、「人員確保は?」「具体的な施策は?」と聞かれたら、私にもすぐに出せる答えはありません。
でも、ひとつだけ確信していることがあります。
学校へ行くほうが、本当はずっと楽だ。
周りと同じように過ごし、偏見の目にさらされず、制度の枠に収まっているほうが、心はずっと安定します。
それでも、自分を殺してまで枠に収まることができない。
「甘え」という言葉や世間の視線をすべて背負ってでも、どうしても動けない。
それは決して甘えなどではなく、誰よりも子ども自身が、一番つらい場所で戦っている証拠なのだと感じます。
制度が形だけ整うのを待つ間に、まずはこの「苦しさ」が、そのままの形で受け入れられる社会であってほしい。
そう願わずにはいられません。
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