「不登校が羨ましいなんて、親としてどうなんだろう」
「こんなこと思ってしまう自分が嫌です」
そんなふうに感じて、ここにたどり着いた方もいると思います。
でも、まず最初に伝えたいのは、その感情は「おかしくない」し、「悪いことでもない」ということです。
むしろ、「羨ましい」と感じるのは、あなたの中にある本音がそっと顔を出しただけだと思います。
この記事では、「羨ましい」と感じてしまう理由や、その感情の奥にある“本当の気持ち”について、私自身の経験を交えながらお話しします。
「羨ましい」にはいくつかの種類がある

「不登校が羨ましい」と感じるとき、その背景にはいくつかの理由があります。
- 自分は許されなかったのに、子どもは許されているから羨ましい
- 本当は休みたかったのに、言えなかった自分を思い出すから羨ましい
- 怒られるのが怖くて選べなかったのに、子どもは選べているから羨ましい
- 自分の意志を貫ける姿が、まぶしく見えるから羨ましい
どれも自然で、人として当たり前の感情です。
そして、どれも「羨ましいと思ったのが悪い」から生まれたものではありません。
私が気づいた「羨ましさ」の正体
私自身、昔は学校を休むなんて考えられませんでした。
「行かない」と言うなんて怖すぎて、選択肢にすら入らなかったんです。
「怒られるのが怖い。」
「周りからどう思われるかも怖い。」
だから、行くしか選べませんでした。
本当は行きたくなかった日も、「行かない」と言えない自分がいました。
年々丈夫になる身体が嫌になって、冬に窓を開けて熱を出そうとしたこともあります。
それでも結局、熱なんて出なくて。休む勇気もありませんでした。
「休む」という選択肢が、私には最初からなかったんだと思います。
親と子で、学校の見え方が違ってしまうのは当然なのかもしれません。
▶詳しくは、こちらをご覧ください。
「羨ましい」という気持ちから気づいたこと

私の子どもは6年間不登校です。
子どもが「学校に行きたくない」と言い始めたとき、私は本当はすごく動揺しました。
不登校なんて受け入れられなくて、「どうしたら学校に戻れるんだろう」と必死でした。
説得しても、なだめても、子どもは「行かない」を変えませんでした。
1ヶ月、2ヶ月、半年、1年……
どれだけ時間が経っても、その意志は揺らぎませんでした。
その姿を見て、気づいたんです。
「ああ、この子にとっては、怒られることよりも、うるさく説得されるよりも学校へ行くほうがつらいんだ。」
「それほどまでに、行けない理由があるんだ。」
その瞬間、以前どこかで感じていた羨ましさよりも、
「自分にはできなかった“自分を守る選択”を、この子はしているんだ」
という、私の知らない道を選ぶ姿に、尊敬のような不思議な気持ちになりました。
▶不登校の始まりについては、以下の記事に詳しく書いています。
不登校の混乱期はどんな状態?行き渋りが始まった頃に親子に起きていたこと【実体験】
不登校は甘やかし? 小2から始まった「集団が無理」なリアルと親ができること
羨ましい気持ちは、本音の裏返し
「羨ましい」と感じるとき、それは単なる嫉妬ではなく、自分の中にずっと押し込めてきた気持ちが動き出したサインです。
- 本当は休みたかった
- 本当は言いたかった
- 本当は選びたかった
その“本当”に気づくきっかけになります。
羨ましいという感情は、あなたの弱さではなく、あなたの心がちゃんと動いている証拠です。
まとめ
「羨ましい」と感じるのは、誰かを否定したいからではなくて、昔の自分が言えなかった気持ちを思い出しただけなんだと思います。
その感情は、弱さではありません。
羨ましいと感じても、自分を責める必要はありません。
その気持ちは、とても人間らしく自然で、今まで頑張ってきた証だと思います。
▶不登校の家庭での接し方はこちらにまとめています。


